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トリコ アラスカ脱出の後 フラガ
アラスカ脱出後、イオリの指示通りオーブへ向かうことになった。ユーラシアの母港に戻る艦もあったが、アークエンジェルと共にオーブへ向かう艦も少なくはない。皆、銃殺刑を受けるために大西洋連邦に戻るつもりも、信用できない上層部のために戦うつもりもないのだろう。
どうしても不器用な者達だけは、パナマへ向かうと去っていった。
イオリの告白により、本より捨て駒とされた者達は地球軍への怒りと絶望に満ちていた。彼女がコーディネーターであることを黙っていたことは、彼女の立場を考えれば仕方のないことではないかという声を多く耳にした。
しかし、それも「命を懸けて我々を逃がし、殉職した少女」に向けられる感謝と慰めの言葉だった。
イオリはきっとオーブに来る。
きっと彼女も基地を脱出し、俺たちと合流するためにオーブへ向かっているはずだと、自分に言い聞かせる。
キラだって生きていたのだ。遺体を抱くまで、希望は消えない。
アークエンジェルがオーブに入港して、3日。遅れて到着する艦も日に日に少なくなり、遂に今日は1艦のみとなった。
アラスカからオーブまで、戦闘機で飛べる距離ではない。そんなことは分かっていた。
途中で中立国に保護されている可能性もある。
奴に希みを託すのは悔しいが、クルーゼがイオリを攫った可能性も高い。
「少佐、少し休んでください。今は、休まないと」
「もう、少佐ではないんじゃない?ラミアス艦長?」
「あ、…そうですわね。ほら、部屋に行って下さい。戦友としてのお願いです。」
「ああ、そうするよ。艦長、イオリが戻ったら、すぐ起こしてくれ」
「ええ、必ず。」
マリューは困ったような、悲しむような顔で笑った。俺以外、誰もイオリの生存を信じる者はいない。俺が逆の立場だったら同じことを思うだろう。彼女を責める気持ちにはなれなかった。
目を閉じると、イオリの唇の感触が蘇る。薄いが、柔らかく、すこしヒヤッとした。
「絶対に戻る」と言った。死の覚悟ではない、生き残る覚悟をした瞳だった。もっと早く、思いを伝えれば良かった。年や立場や恐れなんて考えずに、愛していると抱きしめていれば良かった。俺が愛しても良かったんだ。
今まで「保護者」の立場でイオリを愛することにこだわってきたことが、急にバカらしくなった。彼女は結局男を作らなかったし、俺だけを見ていた。同世代の男とそれなりに経験をして、それでも俺がいいというなら抱きしめる、なんて俺のエゴでしかなかったのだ。
別れなんて、軍人ならば覚悟が出来ていたはずなのに。
「好きです」
イオリの声が響く。
彼女の気持ちには気付いていた。
何年も前から気付いていた。
俺が彼女を欲望や醜聞から守りたかったように、彼女もまた俺を彼女の立場やしがらみから守ってくれていたのかもしれない。
人の消えた極限状態のアラスカで、初めて触れた唇。何も言えなかった自分。
早く戻ってこい。
誰の目も、しがらみも気にせず、抱きしめてもう離さない。
どうしても不器用な者達だけは、パナマへ向かうと去っていった。
イオリの告白により、本より捨て駒とされた者達は地球軍への怒りと絶望に満ちていた。彼女がコーディネーターであることを黙っていたことは、彼女の立場を考えれば仕方のないことではないかという声を多く耳にした。
しかし、それも「命を懸けて我々を逃がし、殉職した少女」に向けられる感謝と慰めの言葉だった。
イオリはきっとオーブに来る。
きっと彼女も基地を脱出し、俺たちと合流するためにオーブへ向かっているはずだと、自分に言い聞かせる。
キラだって生きていたのだ。遺体を抱くまで、希望は消えない。
アークエンジェルがオーブに入港して、3日。遅れて到着する艦も日に日に少なくなり、遂に今日は1艦のみとなった。
アラスカからオーブまで、戦闘機で飛べる距離ではない。そんなことは分かっていた。
途中で中立国に保護されている可能性もある。
奴に希みを託すのは悔しいが、クルーゼがイオリを攫った可能性も高い。
「少佐、少し休んでください。今は、休まないと」
「もう、少佐ではないんじゃない?ラミアス艦長?」
「あ、…そうですわね。ほら、部屋に行って下さい。戦友としてのお願いです。」
「ああ、そうするよ。艦長、イオリが戻ったら、すぐ起こしてくれ」
「ええ、必ず。」
マリューは困ったような、悲しむような顔で笑った。俺以外、誰もイオリの生存を信じる者はいない。俺が逆の立場だったら同じことを思うだろう。彼女を責める気持ちにはなれなかった。
目を閉じると、イオリの唇の感触が蘇る。薄いが、柔らかく、すこしヒヤッとした。
「絶対に戻る」と言った。死の覚悟ではない、生き残る覚悟をした瞳だった。もっと早く、思いを伝えれば良かった。年や立場や恐れなんて考えずに、愛していると抱きしめていれば良かった。俺が愛しても良かったんだ。
今まで「保護者」の立場でイオリを愛することにこだわってきたことが、急にバカらしくなった。彼女は結局男を作らなかったし、俺だけを見ていた。同世代の男とそれなりに経験をして、それでも俺がいいというなら抱きしめる、なんて俺のエゴでしかなかったのだ。
別れなんて、軍人ならば覚悟が出来ていたはずなのに。
「好きです」
イオリの声が響く。
彼女の気持ちには気付いていた。
何年も前から気付いていた。
俺が彼女を欲望や醜聞から守りたかったように、彼女もまた俺を彼女の立場やしがらみから守ってくれていたのかもしれない。
人の消えた極限状態のアラスカで、初めて触れた唇。何も言えなかった自分。
早く戻ってこい。
誰の目も、しがらみも気にせず、抱きしめてもう離さない。
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トリコ 虎との邂逅~フラガ
アンドリュー・バルトフェルドと話してから、イオリの様子がおかしかった。夜会を終え、迎えの車に乗り込む。ネクタイを緩めて深いため息をついた。慣れないことはするもんじゃない。
結局、アルジャイリーの暇つぶしに利用されただけだった。一晩で物質2割引きというのは、ありがたいバイトだったが。
「あのとき、話し込んでたから戻らなかったが…大丈夫か?少し様子が変だ」
隣に座るイオリに視線を向けると、さっと視線を逸らされた。今までこんなことをされたことはなかった。地味に傷ついた。ような気がした。
「あ…立派な人でした。軍人とは思えない方で、…いろいろ言い当てられてしまいました。我々の正体も。」
あのとき、イオリに話しかけてきた時点でそんな予感がしていた。
「やっぱりバレてたか」
特に驚きはしなかったが、このイオリの落ち込みようが心配だ。なにか言われたのだろう。そばを離れたのが悔やまれた。
「…やりにくくなったか?」
「いえ、守りたいものをお互い守ろうと言っていました。」
「守りたいもの、ね」
「…守りたいもの…」
イオリは小さくつぶやくとそのまま押し黙った。彼女の守りたいものとはなんだろうか。彼女が軍に入ったのは決して自分の意思ではない。選択の自由なく、その血筋に課された強制であることはよく知っていた。俺は父親に逆らってみたことがあるが、イオリはその自由すら持ったことはないだろう。
頬が少し赤い。アルコールが効いているのだろうか。
車がゆったりとブレーキをかける。ほんの少し慣性に逆らうと、横に投げ出していた腕の先、ほんの小指の先だけが、彼女のそれに触れた。ヒヤッと冷たい温度を感じる。急に離れるのも変かなと、酔っているフリをして動かなかった。
このまま手を握りしめたい衝動に駆られる。パーティーでは手どころか、腕を組んでさえいたのに。今はこれ以上触れることさえ出来ずにいる。
触れることさえためらう、9歳も年下の少女に、自分のような大人の男が行動を起こしてはいけない。
出会ったとき彼女はまだ13歳だった。すでに完成された美しさをもっていたし、彼女でいらぬ妄想をする同輩もいた。俺自身、そういうこともなかったとは言えないが、大人の邪な欲望から彼女を守るのが自分の責務だと思ってきた。
生まれる前から苦しみを背負う彼女には、年相応の恋愛をして愛する相手と結ばれる、そんな当たり前の幸せをあげたいと思ったのだ。
士官学校の同輩には「保護者」と揶揄されていたが、実のところ父の愛も兄の愛も持ち合わせてはいない。ただ、イオリの幸せをひとりの男として願っていた。
キラ達と話す姿を見ることも増えて、この中の誰かをイオリが愛することがあるかもしれないと思ったとき、胸が鈍く痛んだ。
指が熱い。
自分の熱なのか、彼女の熱なのか分からなかった。
ほんの指先だけの交わりは、今まで自分が経験してきた行為に比べるとあまりにも健全で、体温を共有するようなものではない。しかし、イオリの冷たい指先が、いつの間にか俺の体温に混じり、どこからが自分の体で、どこからがイオリなのか分からなくなっている。
このまま一つになってしまいたい。
あの行為の気持ちよさ、女の肌の柔らかさをよく知る身としては、今すぐ彼女を押し倒し、欲望のまま掻き抱いてしまいたい。きっと、今まで経験したことのない快感を覚えるだろうことは予想がついた。
手を握ってしまおうか。
今なら酔っていた、と言い訳が立つ。
そんなことを逡巡しているうちに、車は最終目的地に到着した。
イオリの頬は、まだ熱い色をしていた。
「フラガさん、着きましたよ。寝てました?」
「あ、いや、ちょっとぼーっとしてただけだ。お手をどうぞ、婚約者殿」
「もうお芝居はおしまいで大丈夫ですよ。」
「でもさ、ほら、そんな高いヒールじゃない。」
「…ありがとうございます。」
イオリが俺の手をとる。
電気が走るようだった。
少し汗ばんだ手のひらが二人の境界線を薄くした。
砂漠の砂を踏みつける度に、細いヒールが飲み込まれていく。バランスの悪いまま、「やっぱり着替えて戻るべきでした」とイオリが毒づく。短い距離を歩くと、すり抜けるように手を離す。
体はもう一度、あの電撃が欲しくて、着替えに戻る彼女の後ろ姿を見送った。
「フられましたね、少佐」
「うるせーな。そんなんじゃないんだよ」
運転手をしたノイマン曹長がからかう。
そう、そんなもんじゃない。
そんな在り来たりなもんじゃないんだ。
結局、アルジャイリーの暇つぶしに利用されただけだった。一晩で物質2割引きというのは、ありがたいバイトだったが。
「あのとき、話し込んでたから戻らなかったが…大丈夫か?少し様子が変だ」
隣に座るイオリに視線を向けると、さっと視線を逸らされた。今までこんなことをされたことはなかった。地味に傷ついた。ような気がした。
「あ…立派な人でした。軍人とは思えない方で、…いろいろ言い当てられてしまいました。我々の正体も。」
あのとき、イオリに話しかけてきた時点でそんな予感がしていた。
「やっぱりバレてたか」
特に驚きはしなかったが、このイオリの落ち込みようが心配だ。なにか言われたのだろう。そばを離れたのが悔やまれた。
「…やりにくくなったか?」
「いえ、守りたいものをお互い守ろうと言っていました。」
「守りたいもの、ね」
「…守りたいもの…」
イオリは小さくつぶやくとそのまま押し黙った。彼女の守りたいものとはなんだろうか。彼女が軍に入ったのは決して自分の意思ではない。選択の自由なく、その血筋に課された強制であることはよく知っていた。俺は父親に逆らってみたことがあるが、イオリはその自由すら持ったことはないだろう。
頬が少し赤い。アルコールが効いているのだろうか。
車がゆったりとブレーキをかける。ほんの少し慣性に逆らうと、横に投げ出していた腕の先、ほんの小指の先だけが、彼女のそれに触れた。ヒヤッと冷たい温度を感じる。急に離れるのも変かなと、酔っているフリをして動かなかった。
このまま手を握りしめたい衝動に駆られる。パーティーでは手どころか、腕を組んでさえいたのに。今はこれ以上触れることさえ出来ずにいる。
触れることさえためらう、9歳も年下の少女に、自分のような大人の男が行動を起こしてはいけない。
出会ったとき彼女はまだ13歳だった。すでに完成された美しさをもっていたし、彼女でいらぬ妄想をする同輩もいた。俺自身、そういうこともなかったとは言えないが、大人の邪な欲望から彼女を守るのが自分の責務だと思ってきた。
生まれる前から苦しみを背負う彼女には、年相応の恋愛をして愛する相手と結ばれる、そんな当たり前の幸せをあげたいと思ったのだ。
士官学校の同輩には「保護者」と揶揄されていたが、実のところ父の愛も兄の愛も持ち合わせてはいない。ただ、イオリの幸せをひとりの男として願っていた。
キラ達と話す姿を見ることも増えて、この中の誰かをイオリが愛することがあるかもしれないと思ったとき、胸が鈍く痛んだ。
指が熱い。
自分の熱なのか、彼女の熱なのか分からなかった。
ほんの指先だけの交わりは、今まで自分が経験してきた行為に比べるとあまりにも健全で、体温を共有するようなものではない。しかし、イオリの冷たい指先が、いつの間にか俺の体温に混じり、どこからが自分の体で、どこからがイオリなのか分からなくなっている。
このまま一つになってしまいたい。
あの行為の気持ちよさ、女の肌の柔らかさをよく知る身としては、今すぐ彼女を押し倒し、欲望のまま掻き抱いてしまいたい。きっと、今まで経験したことのない快感を覚えるだろうことは予想がついた。
手を握ってしまおうか。
今なら酔っていた、と言い訳が立つ。
そんなことを逡巡しているうちに、車は最終目的地に到着した。
イオリの頬は、まだ熱い色をしていた。
「フラガさん、着きましたよ。寝てました?」
「あ、いや、ちょっとぼーっとしてただけだ。お手をどうぞ、婚約者殿」
「もうお芝居はおしまいで大丈夫ですよ。」
「でもさ、ほら、そんな高いヒールじゃない。」
「…ありがとうございます。」
イオリが俺の手をとる。
電気が走るようだった。
少し汗ばんだ手のひらが二人の境界線を薄くした。
砂漠の砂を踏みつける度に、細いヒールが飲み込まれていく。バランスの悪いまま、「やっぱり着替えて戻るべきでした」とイオリが毒づく。短い距離を歩くと、すり抜けるように手を離す。
体はもう一度、あの電撃が欲しくて、着替えに戻る彼女の後ろ姿を見送った。
「フられましたね、少佐」
「うるせーな。そんなんじゃないんだよ」
運転手をしたノイマン曹長がからかう。
そう、そんなもんじゃない。
そんな在り来たりなもんじゃないんだ。
トリコ 虎との邂逅
「エンディミオンの鷹と、よもや地球軍の姫君とこんなところでお会いできるとは。なんたる幸運でしょう。」
アル・ジャイリーは仰々しくもろ手を挙げた。
「どうですかな、価格から2割り引きますので、今夜のパーティーに出席されませんか。もちろん、身分は隠して。」
「大変なお申し出ですが、我々が長時間艦から離れるわけには参りません。」
「心配ありません。そのパーティーにはあの砂漠の虎も出席されます。今夜は平和な夜になりますよ。」
「どうする?」
「支払いが法外なので、少しでも安くなるなら助かりますが…」
「しかし俺たち二人が不在ってのは…」
「…虎の情報を集めるのにもいい機会かもしれません。こちらにはヤマト少尉がいますから、何かあっても対応は可能かと」
「服はこちらで用意させていただきましょう。我が家の客人ということにして、そうですね、軍事産業のご令嬢とその婚約者…という設定はいかがですかな。」
「わかりました。しかし、なぜこのようなことを?」
「ただの戯れですよ。姫のドレス姿を見てみたくなりましてね。」
この男は本当のことは話さない。
納得はしなかったが、支配層独特の暇つぶしなのは確かだろう。
「お、似合うじゃないか。初めてみるな、そんな格好は」
用意された衣装はイスラム圏ということもあり、肌の露出の少ない、ハイネックのドレスだった。夜空色の布地に金糸で細やかな刺繍がされている。腕や首もとはレースになっており、隠している分よっぽど扇情的なのではないかと感じた。
「フラガさんもお似合いですよ。」
彼は簡素なタキシードだ。彼の鍛えた体によく似合っている。
私は薄いベールを被り、準備完了と彼のエスコートを受けた。
「フラガさんってのは良くないな…オヤジの名が、アルって言うんだ。この国には馴染むだろ?」
アル・ジャイリーの顔を思い出す。中東にも西洋にも多く見られる名だ。
「そうですね、では私はイリーナと。母の名です。」
「了解。平和の女神様か」
「笑っちゃいますね。」
★
「こちら、お忍びでいらっしゃっている私の客人です。とある軍事産業のご令嬢とそのご婚約者殿でいらっしゃいます。」
「ごきげんようムッシュ」
「ごきげんようマドモアゼル。アンドリュー・バルトフェルドだ」
バルトフェルドは私の手の甲に口付ける。タキシードの趣味もいい。オシャレな人物のようだ。
「イリーナです。こちらはアル。」
「こんばんわ、婚約者殿。羨ましい限りですな。まるで月の女神のような女性だ」
「幸運に自分でもびっくりですよ。」
「今夜は大佐はお一人ですか?お珍しい」
「ええ、彼女はちょっと調子が悪いようでして。置いて来ました。」
決まったパートナーがいるのだろう。虎がどのような女性を選ぶのか見てみたかったなと思った。
「イリーナさん、少しお話しても?」
パーティーの喧騒に疲れてしまい、私はバルコニーで涼んでいた。砂漠の夜は冷えるが、ここは盆地のせいか肌寒さは感じなかった。
バルトフェルドがシャンパンを持ってやってきた。遠目でも均整のとれた体躯をしている。肉弾戦もお手の物だろう。万が一、格闘になったら勝ち目はないなと想像した。
私はシャンパンを受け取ると不安を否定するようにニコリと微笑んだ。敵のことを知るいいチャンスだ。
「ええ喜んで」
「何か食べるものを持ってきますよ」
「お、気がきくねえ。安心して、僕には愛するパートナーがいますから」
「ははは…」
フラガさんはウインクして会場に去っていった。軽く乾杯を交わすと、飲み慣れないアルコールが喉を熱く流れていった。他愛もない話をしていると、ベールが風で舞い上がった。バルコニーのすぐ下の庭園に落ちた。
「あ…」
「飛んでいってしまったね、一緒に取りに行こう」
「こんなところに来るなんて、君も訳ありだろう」
「ええ、アル・ジャイリー氏の戯れです」
「それだけじゃない。君も、彼も、鍛えられた体をしている。富裕層のジム通いではつくれない、美しい筋肉だ」
「そんなところ、見ていらっしゃるんですね」
「セクハラかな。失礼。僕は口が軽くて、いつも叱られるんだ。」
「君の本当の名は知らないが、心の中を当てて見せよう」
「ええ?」
「僕は今でこそ軍人なんかやっているが、本職は心理学者なんだ。君はつい気になってしまう、そんな目をしているよ。患者としてね。」
「彼は、本当の婚約者ではないね。婚約という言葉に嫌悪感を感じている。嫌な相手でもいるのかな。しかし、彼のことは愛している。が、伝えられない事情がある」
「…ムッシュ、それは…」
「答えなくていいよ。僕の戯れに付き合ってもらいたいだけだ。」
「彼も君のことをとても大切に思っているね。僕からも、この会場の誰からも君を守ろうとしていた。実に自然だったが、僕の目はごまかせない。愛は溢れるものだからね。」
「立場は君のほうが上だね。ご令嬢だからかな?パーティーでの振る舞いも慣れたものだ。彼も、慣れているようだが、最近のものではない。おそらく幼少期の経験だな。」
「乗り気のしないパーティーだが、ジャイリーの誘いを断れない事情と、ここで得られる何かがあった…それは、僕かな?地球軍のお姫様」
「…なんでも分かってしまうんですね」
「ただの推測だよ。ジャイリーは明けの砂漠にも商品を卸している。君の正体を知って、この遊びを思いついたんだろう。悪い趣味だ。ほら、僕らをみているよ。」
「私を捕らえますか?」
「なぜ?戦争中でもね、交流は必要だ。相手を知って、自分を知る。終戦後に友情が芽生えることは古くからよくあることだ。僕のことも少し知って欲しかったんだ。」
「命のやり取りをする相手を知ってしまうのは、辛くはありませんか」
「それが戦争というものだ。戦場では、お互い、守りたいものを守るため戦おう。」
「あなたは、面白い方ですね。彼に少し似ています。」
「彼、そんなにいい男なの?そんな男は貴重だよ。僕らにも婚姻統制なんてものがあるがね、愛する人と結ばれたほうがいい。君は自分を殺すことに躊躇がない人間だ。望まない結婚はしてはいけないよ。」
「私は…事情があって…、その」
「…家族と秘密、与えられた責務、選べぬ人生、愛をくれる男、守りたい仲間…あまりいい状況でも精神状態でもないね。ま、若いエリートにはありがちだが…君は少し背負いすぎかな。彼に思いを伝えたら?」
「迷惑はかけられません」
「ほら、瞳から愛情が溢れ出している。僕にしてみれば、彼のガマンには頭が下がるよ。こんなに魅力的な女性が、自分を見つめてくるなんてね。ガマン強いのも問題だな」
虎はふむ、と顎に手をかけ考えるそぶりを見せた。
「彼は君をいろんなものから守りたがっている。例えば、大人の欲望からとかね。自分も含まれているのかな。年の差を考えているのか。いい男だ。なかなか出来ることじゃないよ。君、いくつになった?」
「19…」
「もう立派な大人だ。自分の人生を生きていい。生きるのも、死ぬのも、隣り合わせだろ?」
ベールを拾ってバルコニーにゆっくりと戻る。フルートグラスにはまだシャンパンが半分以上残っていた。
「すまんね、こんな話をするつもりじゃなかったんだが、つい気になってしまってね。」
「私も、あなたのこと少し分かったかもしれません。戦場でないところで会いたいものです。」
「それは、僕も同じだよ」
「まだ早かったかな?摘まみやすいものをお持ちしましたが」
「ああ、ありがとう。楽しい時間になったよ。婚約者殿を独り占めしてすまなかったね、それはふたりでいただいてくれ」
「いえ」
★
帰りの車の中で、フラガさんは心配そうにこちらを覗き込んだ。顔の距離に心臓が跳ねる。
「あのとき、話し込んでたから戻らなかったが…大丈夫か?少し様子が変だ」
「あ…立派な人でした。軍人とは思えない方で、…いろいろ言い当てられてしまいました。」
我々の正体も、と呟く。彼はあまり驚かなかった。
「やっぱりバレてたか」
「…やりにくくなったか?」
「いえ、守りたいものをお互い守ろうと言っていました。」
「守りたいもの、ね」
「…守りたいもの…」
ふと、シートに置いた指先が触れる。
小指の先だけが、重なった。熱い。バルトフェルドの言葉が頭から離れない。愛は溢れ出すものだと。
この指先の熱が愛なのだろうか?溢れ出る熱量。
こんなに熱いのに、フラガさんは微動だにしない。気にならないだけなのかもしれない。狭い車内、指先、パーティーのあとのほんの少しのアルコール。
小指の先から熱い熱い熱が全身に巡る。鼓動に合わせ、強く脈打つ。初陣の戦場より熱い、命の激流。
ほんの5ミリメートルの指先に全身の神経が集まっているようだった。
フラガさん、私はあなたが好きです。
口を開くと、このまま言ってしまいそうだった。シャンパンのせいにして、疲れのせいにして、口を噤んだ。
私の愛は、秘めることだと思った。
アル・ジャイリーは仰々しくもろ手を挙げた。
「どうですかな、価格から2割り引きますので、今夜のパーティーに出席されませんか。もちろん、身分は隠して。」
「大変なお申し出ですが、我々が長時間艦から離れるわけには参りません。」
「心配ありません。そのパーティーにはあの砂漠の虎も出席されます。今夜は平和な夜になりますよ。」
「どうする?」
「支払いが法外なので、少しでも安くなるなら助かりますが…」
「しかし俺たち二人が不在ってのは…」
「…虎の情報を集めるのにもいい機会かもしれません。こちらにはヤマト少尉がいますから、何かあっても対応は可能かと」
「服はこちらで用意させていただきましょう。我が家の客人ということにして、そうですね、軍事産業のご令嬢とその婚約者…という設定はいかがですかな。」
「わかりました。しかし、なぜこのようなことを?」
「ただの戯れですよ。姫のドレス姿を見てみたくなりましてね。」
この男は本当のことは話さない。
納得はしなかったが、支配層独特の暇つぶしなのは確かだろう。
「お、似合うじゃないか。初めてみるな、そんな格好は」
用意された衣装はイスラム圏ということもあり、肌の露出の少ない、ハイネックのドレスだった。夜空色の布地に金糸で細やかな刺繍がされている。腕や首もとはレースになっており、隠している分よっぽど扇情的なのではないかと感じた。
「フラガさんもお似合いですよ。」
彼は簡素なタキシードだ。彼の鍛えた体によく似合っている。
私は薄いベールを被り、準備完了と彼のエスコートを受けた。
「フラガさんってのは良くないな…オヤジの名が、アルって言うんだ。この国には馴染むだろ?」
アル・ジャイリーの顔を思い出す。中東にも西洋にも多く見られる名だ。
「そうですね、では私はイリーナと。母の名です。」
「了解。平和の女神様か」
「笑っちゃいますね。」
★
「こちら、お忍びでいらっしゃっている私の客人です。とある軍事産業のご令嬢とそのご婚約者殿でいらっしゃいます。」
「ごきげんようムッシュ」
「ごきげんようマドモアゼル。アンドリュー・バルトフェルドだ」
バルトフェルドは私の手の甲に口付ける。タキシードの趣味もいい。オシャレな人物のようだ。
「イリーナです。こちらはアル。」
「こんばんわ、婚約者殿。羨ましい限りですな。まるで月の女神のような女性だ」
「幸運に自分でもびっくりですよ。」
「今夜は大佐はお一人ですか?お珍しい」
「ええ、彼女はちょっと調子が悪いようでして。置いて来ました。」
決まったパートナーがいるのだろう。虎がどのような女性を選ぶのか見てみたかったなと思った。
「イリーナさん、少しお話しても?」
パーティーの喧騒に疲れてしまい、私はバルコニーで涼んでいた。砂漠の夜は冷えるが、ここは盆地のせいか肌寒さは感じなかった。
バルトフェルドがシャンパンを持ってやってきた。遠目でも均整のとれた体躯をしている。肉弾戦もお手の物だろう。万が一、格闘になったら勝ち目はないなと想像した。
私はシャンパンを受け取ると不安を否定するようにニコリと微笑んだ。敵のことを知るいいチャンスだ。
「ええ喜んで」
「何か食べるものを持ってきますよ」
「お、気がきくねえ。安心して、僕には愛するパートナーがいますから」
「ははは…」
フラガさんはウインクして会場に去っていった。軽く乾杯を交わすと、飲み慣れないアルコールが喉を熱く流れていった。他愛もない話をしていると、ベールが風で舞い上がった。バルコニーのすぐ下の庭園に落ちた。
「あ…」
「飛んでいってしまったね、一緒に取りに行こう」
「こんなところに来るなんて、君も訳ありだろう」
「ええ、アル・ジャイリー氏の戯れです」
「それだけじゃない。君も、彼も、鍛えられた体をしている。富裕層のジム通いではつくれない、美しい筋肉だ」
「そんなところ、見ていらっしゃるんですね」
「セクハラかな。失礼。僕は口が軽くて、いつも叱られるんだ。」
「君の本当の名は知らないが、心の中を当てて見せよう」
「ええ?」
「僕は今でこそ軍人なんかやっているが、本職は心理学者なんだ。君はつい気になってしまう、そんな目をしているよ。患者としてね。」
「彼は、本当の婚約者ではないね。婚約という言葉に嫌悪感を感じている。嫌な相手でもいるのかな。しかし、彼のことは愛している。が、伝えられない事情がある」
「…ムッシュ、それは…」
「答えなくていいよ。僕の戯れに付き合ってもらいたいだけだ。」
「彼も君のことをとても大切に思っているね。僕からも、この会場の誰からも君を守ろうとしていた。実に自然だったが、僕の目はごまかせない。愛は溢れるものだからね。」
「立場は君のほうが上だね。ご令嬢だからかな?パーティーでの振る舞いも慣れたものだ。彼も、慣れているようだが、最近のものではない。おそらく幼少期の経験だな。」
「乗り気のしないパーティーだが、ジャイリーの誘いを断れない事情と、ここで得られる何かがあった…それは、僕かな?地球軍のお姫様」
「…なんでも分かってしまうんですね」
「ただの推測だよ。ジャイリーは明けの砂漠にも商品を卸している。君の正体を知って、この遊びを思いついたんだろう。悪い趣味だ。ほら、僕らをみているよ。」
「私を捕らえますか?」
「なぜ?戦争中でもね、交流は必要だ。相手を知って、自分を知る。終戦後に友情が芽生えることは古くからよくあることだ。僕のことも少し知って欲しかったんだ。」
「命のやり取りをする相手を知ってしまうのは、辛くはありませんか」
「それが戦争というものだ。戦場では、お互い、守りたいものを守るため戦おう。」
「あなたは、面白い方ですね。彼に少し似ています。」
「彼、そんなにいい男なの?そんな男は貴重だよ。僕らにも婚姻統制なんてものがあるがね、愛する人と結ばれたほうがいい。君は自分を殺すことに躊躇がない人間だ。望まない結婚はしてはいけないよ。」
「私は…事情があって…、その」
「…家族と秘密、与えられた責務、選べぬ人生、愛をくれる男、守りたい仲間…あまりいい状況でも精神状態でもないね。ま、若いエリートにはありがちだが…君は少し背負いすぎかな。彼に思いを伝えたら?」
「迷惑はかけられません」
「ほら、瞳から愛情が溢れ出している。僕にしてみれば、彼のガマンには頭が下がるよ。こんなに魅力的な女性が、自分を見つめてくるなんてね。ガマン強いのも問題だな」
虎はふむ、と顎に手をかけ考えるそぶりを見せた。
「彼は君をいろんなものから守りたがっている。例えば、大人の欲望からとかね。自分も含まれているのかな。年の差を考えているのか。いい男だ。なかなか出来ることじゃないよ。君、いくつになった?」
「19…」
「もう立派な大人だ。自分の人生を生きていい。生きるのも、死ぬのも、隣り合わせだろ?」
ベールを拾ってバルコニーにゆっくりと戻る。フルートグラスにはまだシャンパンが半分以上残っていた。
「すまんね、こんな話をするつもりじゃなかったんだが、つい気になってしまってね。」
「私も、あなたのこと少し分かったかもしれません。戦場でないところで会いたいものです。」
「それは、僕も同じだよ」
「まだ早かったかな?摘まみやすいものをお持ちしましたが」
「ああ、ありがとう。楽しい時間になったよ。婚約者殿を独り占めしてすまなかったね、それはふたりでいただいてくれ」
「いえ」
★
帰りの車の中で、フラガさんは心配そうにこちらを覗き込んだ。顔の距離に心臓が跳ねる。
「あのとき、話し込んでたから戻らなかったが…大丈夫か?少し様子が変だ」
「あ…立派な人でした。軍人とは思えない方で、…いろいろ言い当てられてしまいました。」
我々の正体も、と呟く。彼はあまり驚かなかった。
「やっぱりバレてたか」
「…やりにくくなったか?」
「いえ、守りたいものをお互い守ろうと言っていました。」
「守りたいもの、ね」
「…守りたいもの…」
ふと、シートに置いた指先が触れる。
小指の先だけが、重なった。熱い。バルトフェルドの言葉が頭から離れない。愛は溢れ出すものだと。
この指先の熱が愛なのだろうか?溢れ出る熱量。
こんなに熱いのに、フラガさんは微動だにしない。気にならないだけなのかもしれない。狭い車内、指先、パーティーのあとのほんの少しのアルコール。
小指の先から熱い熱い熱が全身に巡る。鼓動に合わせ、強く脈打つ。初陣の戦場より熱い、命の激流。
ほんの5ミリメートルの指先に全身の神経が集まっているようだった。
フラガさん、私はあなたが好きです。
口を開くと、このまま言ってしまいそうだった。シャンパンのせいにして、疲れのせいにして、口を噤んだ。
私の愛は、秘めることだと思った。
トリコ アラスカの異変
一箱に収まる荷物をまとめると、アークエンジェルの面々に挨拶をして退艦した。フラガさんとナタル、フレイも一緒だ。
女性組は月本部への異動なので、同じ船にのることになる。
フラガさんとはここでお別れだ。
「元気で、な。またどっかで会えるさ」
「フラガさんも、お元気で。きっといい先生になりますよ」
彼は私たちを月行きの列まで送ると、人混みに消えていった。
列車でパナマまで移動し、そこから宇宙に上がることになっている。私とナタルは異動は慣れたものだが、フレイは不安そうにキョロキョロ辺りを見回していた。
「大丈夫よ。すぐに慣れるわ」
「は…はい…」
「それにしても、多過ぎませんか?まだパナマにでる艦があるんでしょうか?」
長い列に並ぶ間、端末で情報収集をする。情報収集といっても基地司令部のメインコンピュータへのハッキングだ。ほとんどの基地制御システムの開発をしたのは私なので、セキュリティーなんてフリーパスのようなものだった。
軍大学時代に開発したシステムだったため、上層部もそのことを忘れていたのかもしれない。
気付いてしまった。
司令室はおろか、ほとんどの建物から人が消えていることに。
「…え?」
「大佐?どうかされましたか?」
「あ…忘れ物したみたいです。大切なものなので、ちょっと取ってきます。次の便でいきますから、先に行っていて下さい。」
「え、大佐!」
「フレイさんのこと、お願いします」
荷物を廊下に置き捨てる。
制御盤から有線プラグを取り出し、端末に繋ぐ。暗号化されたサザーランド大佐のメールを洗う。
ジョシュア、サイクロプス、上層部と兵士の退避、使えない残存部隊はここで始末…
信じられない言葉が並んでいた。
アズラエルから、ザフトの攻撃目標の変更が知らされていた。予定時刻は今すぐ、アラスカ基地…!
そんな。
すぐに情報が繋がった。
補給もされない、整備もされないアークエンジェル。ほかの艦も似たような状況だと聞いていた。大量破壊兵器で抹殺する部隊に補給は必要ないということだ。
知らせなければ!
なんとかして知らせなければならない。
説得にたる証拠を集め、公開しなくては。
アラスカ基地地下、ジョシュアには大量のサイクロプスが設置されていた。
将官用のリニアの映像、司令室の状況、これだけでみなを納得させられるだろうか。
アラートが鳴り響いた。もう来てしまったのだ。時間が足りない!
「イオリ?!移送船に乗らなかったのか?」
「フラガさんこそ、どうして」
「おかしいと思って、引き返した!」
「…気のせいじゃないかもしれません。私は…基地地下にサイクロプスを発見しました。」
「なんだと…?」
「内通者が手引きした可能性があります。急ぎましょう。みんなに知らせないと」
「どうすんだよ」
「司令室からオープン回線で両軍に停戦と退避を指示します。」
誰もいない本部を駆ける。アラスカ基地は広い。途中拾ったバイクに乗り、司令本部ビルにたどり着いた。フラガさんが一緒で良かった。私はバイクに乗れない。一人では本部にすらたどり着けなかっただろう。
私はこんなにも、一人ではなにも出来ない。
「この感じ、ラウ・ル・クルーゼか」
「…内通者が…やはり」
「気を抜くなよ、イオリ」
銃を構え、警戒しながら司令室を目指す。敵がいると思うと速度が落ちるが仕方なかった。
司令部は映像通りもぬけの空だった。
チカチカ、モニタの光だけが瞬いている。
「もぬけの空だ!なんだってんだ」
「残ってるのは、いらないと判断された者たちだけです。私はここから駐留部隊に通信を…」
「そうはさせん。」
誰もいない本部のコントロールルームに人影が見えた。白い軍服。金髪の男。
フラガさんの言うとおりだ。あれがラウ・ル・クルーゼ。コンピュータになにか細工をしている。
フラガさんは躊躇なく引き金をひいた。
クルーゼは身を翻し、不敵に笑む。
フラガさんに分かるということは、クルーゼもすでにフラガさんの存在を感じとっていたのだ。
「久しぶりだなムウ・ラ・フラガ。ここにいるということは貴様も用済みか?落ちたものだなエンディミオンの鷹も」
「そちらは、イオリ・ジン大佐かな?いつも一緒だなお前たちは」
クルーゼは発砲しながら追い詰めてくる。ここでは通信なんてできない。
「イオリ!逃げるぞ!」
フラガさんに腕を引かれ、踵を返した。銃弾をくぐり抜けながらクルーゼから逃げる。積極的に追いかけてくるつもりはないようだ。どうせサイクロプスで始末されると思っているのだろう。
「イオリ、格納庫に向かうぞ!戦闘機かなんか、あるだろ。アークエンジェルに向かおう」
フラガさんは強い力で腕を引っ張った。彼の進む方向と、私が行くべき道が別れた。逆方向に腕をひかれ、ひどく痛んだ。
「私は司令を出さねばなりません。開発者用のコントロールルームが他にもあります。そこから両軍に向けて、指示を出します。」
「そんなの、機体の通信でやればいい!」
「だめです。証拠の映像をつけなければ誰も信用しません。私が、基地司令室から発信することに意味があるんです!」
「死ぬ気か!」
今まで聞いた彼の声の中で、一番強い言葉だった。
「フラガさん!」
彼の腕を引く。
体勢を崩した彼の唇にキスをした。
「絶対戻ります。そのときは、いっぱい抱いてください。愛してます。」
フラガさんがよろめいた隙に、私は踵を返し、コントロールルームに向かった。
クルーゼに見つかるか、サイクロプスに巻き込まれるか。とても退避は間に合わないだろう。
でもこれが、私がここにいる意味だとおもった。
祭り上げられた名ばかりの大佐。
ただの小娘にもできることはある。
さあ、覚悟を決めよ。
女性組は月本部への異動なので、同じ船にのることになる。
フラガさんとはここでお別れだ。
「元気で、な。またどっかで会えるさ」
「フラガさんも、お元気で。きっといい先生になりますよ」
彼は私たちを月行きの列まで送ると、人混みに消えていった。
列車でパナマまで移動し、そこから宇宙に上がることになっている。私とナタルは異動は慣れたものだが、フレイは不安そうにキョロキョロ辺りを見回していた。
「大丈夫よ。すぐに慣れるわ」
「は…はい…」
「それにしても、多過ぎませんか?まだパナマにでる艦があるんでしょうか?」
長い列に並ぶ間、端末で情報収集をする。情報収集といっても基地司令部のメインコンピュータへのハッキングだ。ほとんどの基地制御システムの開発をしたのは私なので、セキュリティーなんてフリーパスのようなものだった。
軍大学時代に開発したシステムだったため、上層部もそのことを忘れていたのかもしれない。
気付いてしまった。
司令室はおろか、ほとんどの建物から人が消えていることに。
「…え?」
「大佐?どうかされましたか?」
「あ…忘れ物したみたいです。大切なものなので、ちょっと取ってきます。次の便でいきますから、先に行っていて下さい。」
「え、大佐!」
「フレイさんのこと、お願いします」
荷物を廊下に置き捨てる。
制御盤から有線プラグを取り出し、端末に繋ぐ。暗号化されたサザーランド大佐のメールを洗う。
ジョシュア、サイクロプス、上層部と兵士の退避、使えない残存部隊はここで始末…
信じられない言葉が並んでいた。
アズラエルから、ザフトの攻撃目標の変更が知らされていた。予定時刻は今すぐ、アラスカ基地…!
そんな。
すぐに情報が繋がった。
補給もされない、整備もされないアークエンジェル。ほかの艦も似たような状況だと聞いていた。大量破壊兵器で抹殺する部隊に補給は必要ないということだ。
知らせなければ!
なんとかして知らせなければならない。
説得にたる証拠を集め、公開しなくては。
アラスカ基地地下、ジョシュアには大量のサイクロプスが設置されていた。
将官用のリニアの映像、司令室の状況、これだけでみなを納得させられるだろうか。
アラートが鳴り響いた。もう来てしまったのだ。時間が足りない!
「イオリ?!移送船に乗らなかったのか?」
「フラガさんこそ、どうして」
「おかしいと思って、引き返した!」
「…気のせいじゃないかもしれません。私は…基地地下にサイクロプスを発見しました。」
「なんだと…?」
「内通者が手引きした可能性があります。急ぎましょう。みんなに知らせないと」
「どうすんだよ」
「司令室からオープン回線で両軍に停戦と退避を指示します。」
誰もいない本部を駆ける。アラスカ基地は広い。途中拾ったバイクに乗り、司令本部ビルにたどり着いた。フラガさんが一緒で良かった。私はバイクに乗れない。一人では本部にすらたどり着けなかっただろう。
私はこんなにも、一人ではなにも出来ない。
「この感じ、ラウ・ル・クルーゼか」
「…内通者が…やはり」
「気を抜くなよ、イオリ」
銃を構え、警戒しながら司令室を目指す。敵がいると思うと速度が落ちるが仕方なかった。
司令部は映像通りもぬけの空だった。
チカチカ、モニタの光だけが瞬いている。
「もぬけの空だ!なんだってんだ」
「残ってるのは、いらないと判断された者たちだけです。私はここから駐留部隊に通信を…」
「そうはさせん。」
誰もいない本部のコントロールルームに人影が見えた。白い軍服。金髪の男。
フラガさんの言うとおりだ。あれがラウ・ル・クルーゼ。コンピュータになにか細工をしている。
フラガさんは躊躇なく引き金をひいた。
クルーゼは身を翻し、不敵に笑む。
フラガさんに分かるということは、クルーゼもすでにフラガさんの存在を感じとっていたのだ。
「久しぶりだなムウ・ラ・フラガ。ここにいるということは貴様も用済みか?落ちたものだなエンディミオンの鷹も」
「そちらは、イオリ・ジン大佐かな?いつも一緒だなお前たちは」
クルーゼは発砲しながら追い詰めてくる。ここでは通信なんてできない。
「イオリ!逃げるぞ!」
フラガさんに腕を引かれ、踵を返した。銃弾をくぐり抜けながらクルーゼから逃げる。積極的に追いかけてくるつもりはないようだ。どうせサイクロプスで始末されると思っているのだろう。
「イオリ、格納庫に向かうぞ!戦闘機かなんか、あるだろ。アークエンジェルに向かおう」
フラガさんは強い力で腕を引っ張った。彼の進む方向と、私が行くべき道が別れた。逆方向に腕をひかれ、ひどく痛んだ。
「私は司令を出さねばなりません。開発者用のコントロールルームが他にもあります。そこから両軍に向けて、指示を出します。」
「そんなの、機体の通信でやればいい!」
「だめです。証拠の映像をつけなければ誰も信用しません。私が、基地司令室から発信することに意味があるんです!」
「死ぬ気か!」
今まで聞いた彼の声の中で、一番強い言葉だった。
「フラガさん!」
彼の腕を引く。
体勢を崩した彼の唇にキスをした。
「絶対戻ります。そのときは、いっぱい抱いてください。愛してます。」
フラガさんがよろめいた隙に、私は踵を返し、コントロールルームに向かった。
クルーゼに見つかるか、サイクロプスに巻き込まれるか。とても退避は間に合わないだろう。
でもこれが、私がここにいる意味だとおもった。
祭り上げられた名ばかりの大佐。
ただの小娘にもできることはある。
さあ、覚悟を決めよ。
トリコ アラスカ査問会終盤
悔しくて爪が手のひらに食い込んでいた。ろくな補給もないまま、身命を賭してここまでたどり着いた部下に対する言葉ではない。
このような扱いを受けるために、犠牲を出しながら、また敵を犠牲にしながら生き延びたのだろうか。
「サザーランド大佐、お言葉ですが、補給の不手際は本部の責任ですよ。私の部下たちを責める権利はあなた方にはありません。そちらがその態度であるなら、私はそちらの責任を報告せざるを得ません。」
「ジン大佐。これは参謀本部の意見なのです。お父上の言葉、受け止めて頂かなくては。それに…」
「おい、イオリ、もうやめろ。」
食ってかかる勢いの私をフラガさんが止める。肩を握る手。この手が、艦を守ってくれたというのに私は名誉を守ることすらできないでいる。
「お、婚約者殿であるアズラエル理事と、通信が繋がっています。このままお話下さい」
「こんなときに…!婚約なんて私は了承した覚えはありません!査問会の最中ですよ!」
モニタに金髪の男が映し出された。フラガは自分より少し年上だなと思った。
自分とイオリでさえ9歳も年が離れている。そのせいで、気持ちのブレーキを必死に踏んでいるというのに、この男はなんだ。
イオリの人生や、健全な成長を考えれば、自分たちのような年上の男が気軽に手を出していいものではないのだ。
「そう怒らないで下さいよ、イオリさん。本部にはあとで処遇を見直すように進言してあげますから」
フラガは怒りが体に満ちるのを感じた。ムルタ・アズラエル。アズラエル財閥といえば軍事産業で有名な死の商人だ。ブルーコスモスの盟主でもある。軍トップの娘であるイオリに、こんな奴と結婚話が出るほど軍はブルーコスモスに染まっているのだ。
「アズラエル理事、今は査問会の途中です。個人的なお話でしたらいずれ」
「イオリさん、あなたね、月本部に転属してもらうことになりました。戦争ももう終盤です。私も月に上がるので、次に会うときは結婚式ですよ。アルテミス神殿で盛大に執り行いましょう。」
「なっ…!イオリはまだ19だぞ!あんた幾つだよ!」
「フラガ少佐、黙っていてください。私の問題です。」
この男がフラガさんに目を付けられることは避けたかった。何をするか分からない男だ。エースパイロットでさえ、彼にとっては替わりの効く駒でしかない。
「命令には従いますが、結婚は個人の問題です。私は軍人です。明日死ぬかもしれない身だと、お断りしているはずですが」
「君の父上も、祖父君も、お許し下さいましたよ。私はあんたが欲しいんです。今まで待ったんですから、もう軍は辞めて、次の戦場は政治の舞台ですよ。私の妻としてね。あなたを抱く日が待ち遠しいですね。その勝ち気な目が、潤む様を早く見たい。願わくば、あなたが私を愛してくれると嬉しいですねぇ」
「…!」
「おっと、時間が来てしまった。では婚約者殿、次会ったときは熱い抱擁を期待していますよ。」
通信が切れる。私は恐ろしくて後ろを振り向けなかった。艦長たちはもちろん、フラガさんの顔を見る勇気が持てなかった。あんな男の妻になる未来なんて、フラガさんにだけは知られたくなかった。あの男に組み敷かれ、無理やり抱かれる様を想像してしまった。吐き気と自己嫌悪が止まらない。なぜこんな場で公開セクハラを受けねばならないのか。二人のときならいいという訳ではないが、将官たちの視線の嫌らしさは精神力をえぐるには十分だった。
私が真実結ばれたい相手は、13のころからムウ・ラ・フラガただ一人なのに。
「お熱いことですな。大佐は若くお美しい。今はまだ親しみをもてなくても、夫婦として暮らしてみると案外愛情を感じるものですよ。アズラエル理事がお相手とは、羨ましい。」
サザーランド大佐は下卑た笑みを見せた。彼は私の秘密を知る数少ない人物だ。そして彼はブルーコスモス。私のことが憎くてたまらない者の一人だろう。忌み嫌うコーディネーターの娘が、ブルーコスモスの盟主に好きにされるというのは、彼らのプライドを満たすのに十分なもののようだ。
「査問会は終わりでよろしいですか」
「ええ、お疲れ様でした。あ、転属の話ですが大佐は月本部へ。他の者はこちらに記載しています。明日、連絡船に遅れないように。」
査問室という名の戦場をあとにする。ドッと疲れが体を襲った。自重を支えきれず、壁にぶつかり、そのままうずくまってしまった。
こんなことでは、みんなを不安にさせてしまうのに。私が彼らに出来ることは、あまりにも少ない。不甲斐ない私を、年少のお飾りの上官を支え、助けてくれたみんなの前では、せめて強い上官でありたかった。彼らの名誉を守れるくらいの。
「みなさん、ごめんなさい、私の力が及ばず、嫌な思いを…」
「ジン大佐、あなたのせいじゃありません!あれは、もう、決まっていたこと…でしょう」
「その通りです。大佐は精一杯我々を守ってくれました。」
「艦長…中尉…」
「ラミアス少佐、辞令だ。伝えておけ」
サザーランド付きの補佐官が一枚の紙を手渡した。
イオリの月本部への転属のほかに、フラガのカルフォルニア転属、ナタルとフレイの月への転属命令が記されていた。
「なっ…俺がカルフォルニアで教官?!バカな」
「離されましたね。アズラエルは、士官学校時代から、私とフラガさんのことをよく思ってなかった…」
「なんだってんだ。俺もイオリもいなけりゃ、誰が艦を守るんだよ?」
憤りを隠せなかった。
どんなに上手くMSを駆ったところで、私の処遇なんて簡単に決められてしまう。
「イオリ、大丈夫か?立てるか?」
「すみません、大丈夫です」
立ち上がろうとしたが、吐き気で更にうずくまってしまった。
「…艦長たちは先に戻っててくれ。落ち着いたら、抱えて戻るから」
「分かりました。中尉、行きましょう」
フラガさんが背中をさすって体を支える。なにも言わずに二人にしてくれたことに感謝した。こういう査問室の近くには待機のための空間が準備されているものだ。彼はそこまで私を連れて行くと、自販機で水を買ってくれた。
一口飲む。
冷えた水が胃にしみるようだった。
「大丈夫か?…いや、大丈夫じゃないよな。ちょっと横になれ。」
ベンチに横たえられる。へたった皮の長いすだったが、立っているより幾分ましだった。壁側に横向に寝ると、彼の表情は見えない。私の顔も見えない。
ふわっと、からだに温かいものがかぶさった。フラガさんの上着がかけられていた。
温かい。
彼のいい匂いがした。
髪を撫でられ、その心地よさに目をつぶる。優しい手。士官学校で出会ってから、ずっと変わらない。
「お前、結婚するのか、あいつと」
「…しません」
「政略結婚ってやつだよな」
「しません…」
言ってしまいそうだった。
「あなたが好きです」と。
あなた以外と結婚なんて、死んだ方がましだと。
「あいつ、幾つ?」
「たしか、私より11歳年上です」
「おっさんじゃねえか」
「…おっさんじゃ、ないですよ、年は、そんなんじゃないですよ」
以前、フラガさんにいわれた言葉を思い出す。「ちゃんと同世代と恋愛して、大人の欲望の的になったらだめだ。」守られていた。彼だけは、私を守るべき子供として守ってくれていた。私のめちゃくちゃな人生が、これ以上歪まないですむようにと。
*
子供は守らねばならない。ずっとそう思ってきた。同僚であっても、いつの間にか上官になっていたとしても、年下というものは年長者がよい道に導いてやらねばならない。
大人ばかりの士官学校にたった13歳のイオリが同期としていた。ただでさえ異質なうえ、その頃から完成された美しさだった。同期たちの下品な発言もあった。俺はそういう目をローティーンに向ける奴が大嫌いで、俺よりまともな奴がいないなら、せめて卒業までは俺が守ってやろうと思ったのだ。
イオリも意図を理解していたようで、態度や発言には気をつかっていた。俺にロリコンの噂をたてないようにしたかったのだろう。兄のように妹のように過ごした2年間だった。
月面戦線で再会したときに、彼女は18になっていた。手を出しても責められる年齢ではなかったが、自分の気持ちよりイオリの人生が大切だと思ったから、今まで想いを押し殺してきた。
それをなんだ。
俺より年上で、俺よりイオリを大切に出来そうにない男が力で奪っていこうとしている。
俺のほうがイオリを幸せにできる。
俺のほうがイオリを愛している。
溢れ出しそうになる感情。声をだすと、そのまま言葉にしてしまいそうで黙っていることしか出来なかった。
「私、しませんから…結婚なんて、しません」
「ああ、しなくていい」
「フラガさん…」
イオリがこちらを見ていた。
半身を起こし、少し涙で揺れた目でこちらをみている。
ゴクリ。
唾をのんだ。
「そろそろ、戻りましょう。だいぶ良くなりました。荷物、まとめないといけま
せんね」
告白されるかと思った。
そうだな、と消化不良の返事をして、アークエンジェルに戻った。
途中、会話はなかった。
このような扱いを受けるために、犠牲を出しながら、また敵を犠牲にしながら生き延びたのだろうか。
「サザーランド大佐、お言葉ですが、補給の不手際は本部の責任ですよ。私の部下たちを責める権利はあなた方にはありません。そちらがその態度であるなら、私はそちらの責任を報告せざるを得ません。」
「ジン大佐。これは参謀本部の意見なのです。お父上の言葉、受け止めて頂かなくては。それに…」
「おい、イオリ、もうやめろ。」
食ってかかる勢いの私をフラガさんが止める。肩を握る手。この手が、艦を守ってくれたというのに私は名誉を守ることすらできないでいる。
「お、婚約者殿であるアズラエル理事と、通信が繋がっています。このままお話下さい」
「こんなときに…!婚約なんて私は了承した覚えはありません!査問会の最中ですよ!」
モニタに金髪の男が映し出された。フラガは自分より少し年上だなと思った。
自分とイオリでさえ9歳も年が離れている。そのせいで、気持ちのブレーキを必死に踏んでいるというのに、この男はなんだ。
イオリの人生や、健全な成長を考えれば、自分たちのような年上の男が気軽に手を出していいものではないのだ。
「そう怒らないで下さいよ、イオリさん。本部にはあとで処遇を見直すように進言してあげますから」
フラガは怒りが体に満ちるのを感じた。ムルタ・アズラエル。アズラエル財閥といえば軍事産業で有名な死の商人だ。ブルーコスモスの盟主でもある。軍トップの娘であるイオリに、こんな奴と結婚話が出るほど軍はブルーコスモスに染まっているのだ。
「アズラエル理事、今は査問会の途中です。個人的なお話でしたらいずれ」
「イオリさん、あなたね、月本部に転属してもらうことになりました。戦争ももう終盤です。私も月に上がるので、次に会うときは結婚式ですよ。アルテミス神殿で盛大に執り行いましょう。」
「なっ…!イオリはまだ19だぞ!あんた幾つだよ!」
「フラガ少佐、黙っていてください。私の問題です。」
この男がフラガさんに目を付けられることは避けたかった。何をするか分からない男だ。エースパイロットでさえ、彼にとっては替わりの効く駒でしかない。
「命令には従いますが、結婚は個人の問題です。私は軍人です。明日死ぬかもしれない身だと、お断りしているはずですが」
「君の父上も、祖父君も、お許し下さいましたよ。私はあんたが欲しいんです。今まで待ったんですから、もう軍は辞めて、次の戦場は政治の舞台ですよ。私の妻としてね。あなたを抱く日が待ち遠しいですね。その勝ち気な目が、潤む様を早く見たい。願わくば、あなたが私を愛してくれると嬉しいですねぇ」
「…!」
「おっと、時間が来てしまった。では婚約者殿、次会ったときは熱い抱擁を期待していますよ。」
通信が切れる。私は恐ろしくて後ろを振り向けなかった。艦長たちはもちろん、フラガさんの顔を見る勇気が持てなかった。あんな男の妻になる未来なんて、フラガさんにだけは知られたくなかった。あの男に組み敷かれ、無理やり抱かれる様を想像してしまった。吐き気と自己嫌悪が止まらない。なぜこんな場で公開セクハラを受けねばならないのか。二人のときならいいという訳ではないが、将官たちの視線の嫌らしさは精神力をえぐるには十分だった。
私が真実結ばれたい相手は、13のころからムウ・ラ・フラガただ一人なのに。
「お熱いことですな。大佐は若くお美しい。今はまだ親しみをもてなくても、夫婦として暮らしてみると案外愛情を感じるものですよ。アズラエル理事がお相手とは、羨ましい。」
サザーランド大佐は下卑た笑みを見せた。彼は私の秘密を知る数少ない人物だ。そして彼はブルーコスモス。私のことが憎くてたまらない者の一人だろう。忌み嫌うコーディネーターの娘が、ブルーコスモスの盟主に好きにされるというのは、彼らのプライドを満たすのに十分なもののようだ。
「査問会は終わりでよろしいですか」
「ええ、お疲れ様でした。あ、転属の話ですが大佐は月本部へ。他の者はこちらに記載しています。明日、連絡船に遅れないように。」
査問室という名の戦場をあとにする。ドッと疲れが体を襲った。自重を支えきれず、壁にぶつかり、そのままうずくまってしまった。
こんなことでは、みんなを不安にさせてしまうのに。私が彼らに出来ることは、あまりにも少ない。不甲斐ない私を、年少のお飾りの上官を支え、助けてくれたみんなの前では、せめて強い上官でありたかった。彼らの名誉を守れるくらいの。
「みなさん、ごめんなさい、私の力が及ばず、嫌な思いを…」
「ジン大佐、あなたのせいじゃありません!あれは、もう、決まっていたこと…でしょう」
「その通りです。大佐は精一杯我々を守ってくれました。」
「艦長…中尉…」
「ラミアス少佐、辞令だ。伝えておけ」
サザーランド付きの補佐官が一枚の紙を手渡した。
イオリの月本部への転属のほかに、フラガのカルフォルニア転属、ナタルとフレイの月への転属命令が記されていた。
「なっ…俺がカルフォルニアで教官?!バカな」
「離されましたね。アズラエルは、士官学校時代から、私とフラガさんのことをよく思ってなかった…」
「なんだってんだ。俺もイオリもいなけりゃ、誰が艦を守るんだよ?」
憤りを隠せなかった。
どんなに上手くMSを駆ったところで、私の処遇なんて簡単に決められてしまう。
「イオリ、大丈夫か?立てるか?」
「すみません、大丈夫です」
立ち上がろうとしたが、吐き気で更にうずくまってしまった。
「…艦長たちは先に戻っててくれ。落ち着いたら、抱えて戻るから」
「分かりました。中尉、行きましょう」
フラガさんが背中をさすって体を支える。なにも言わずに二人にしてくれたことに感謝した。こういう査問室の近くには待機のための空間が準備されているものだ。彼はそこまで私を連れて行くと、自販機で水を買ってくれた。
一口飲む。
冷えた水が胃にしみるようだった。
「大丈夫か?…いや、大丈夫じゃないよな。ちょっと横になれ。」
ベンチに横たえられる。へたった皮の長いすだったが、立っているより幾分ましだった。壁側に横向に寝ると、彼の表情は見えない。私の顔も見えない。
ふわっと、からだに温かいものがかぶさった。フラガさんの上着がかけられていた。
温かい。
彼のいい匂いがした。
髪を撫でられ、その心地よさに目をつぶる。優しい手。士官学校で出会ってから、ずっと変わらない。
「お前、結婚するのか、あいつと」
「…しません」
「政略結婚ってやつだよな」
「しません…」
言ってしまいそうだった。
「あなたが好きです」と。
あなた以外と結婚なんて、死んだ方がましだと。
「あいつ、幾つ?」
「たしか、私より11歳年上です」
「おっさんじゃねえか」
「…おっさんじゃ、ないですよ、年は、そんなんじゃないですよ」
以前、フラガさんにいわれた言葉を思い出す。「ちゃんと同世代と恋愛して、大人の欲望の的になったらだめだ。」守られていた。彼だけは、私を守るべき子供として守ってくれていた。私のめちゃくちゃな人生が、これ以上歪まないですむようにと。
*
子供は守らねばならない。ずっとそう思ってきた。同僚であっても、いつの間にか上官になっていたとしても、年下というものは年長者がよい道に導いてやらねばならない。
大人ばかりの士官学校にたった13歳のイオリが同期としていた。ただでさえ異質なうえ、その頃から完成された美しさだった。同期たちの下品な発言もあった。俺はそういう目をローティーンに向ける奴が大嫌いで、俺よりまともな奴がいないなら、せめて卒業までは俺が守ってやろうと思ったのだ。
イオリも意図を理解していたようで、態度や発言には気をつかっていた。俺にロリコンの噂をたてないようにしたかったのだろう。兄のように妹のように過ごした2年間だった。
月面戦線で再会したときに、彼女は18になっていた。手を出しても責められる年齢ではなかったが、自分の気持ちよりイオリの人生が大切だと思ったから、今まで想いを押し殺してきた。
それをなんだ。
俺より年上で、俺よりイオリを大切に出来そうにない男が力で奪っていこうとしている。
俺のほうがイオリを幸せにできる。
俺のほうがイオリを愛している。
溢れ出しそうになる感情。声をだすと、そのまま言葉にしてしまいそうで黙っていることしか出来なかった。
「私、しませんから…結婚なんて、しません」
「ああ、しなくていい」
「フラガさん…」
イオリがこちらを見ていた。
半身を起こし、少し涙で揺れた目でこちらをみている。
ゴクリ。
唾をのんだ。
「そろそろ、戻りましょう。だいぶ良くなりました。荷物、まとめないといけま
せんね」
告白されるかと思った。
そうだな、と消化不良の返事をして、アークエンジェルに戻った。
途中、会話はなかった。